こんにちは、ゆなりです。
妊娠出産育児、結婚離婚、調停裁判、助産師の仕事などを綴っていきます。
本日は【調停で離婚成立に至るまで】夫から逃げたい日々④ です。
うまくいくわけがない家庭内別居
家庭内別居を経験してみた感想ですが、個人的には不可能だと思いました。
ものすごく広い家でキッチンもトイレもお風呂も別なら話は変わりますが、一般家庭の戸建てではどうしても相手の生活が垣間見えてしまいます。
彼はあまり頭がよくなった。私の母からお互いに好きなことをして時間を過ごしなさい、趣味を見つけたり自分の部屋にテレビやゲームを買えばいいと助言をもらっていたにも関わらず、なぜかそれに応じない。僕が悪いので遊んでいる場合ではありませんなどいう趣旨のことを言って、部屋に閉じこもっていたように思います。
また、子どもの世話は一緒にせざるを得ず、わたしが夜勤や土日祝の出勤の日は彼に子守をお願いしなければならなかったので、必然的に会話は生まれてしまうのでした。
こんな生活が続くわけはありません。
一生で一番後悔した日
わたしはこの日の自分がいまだに許せない。思い出したくもない、一生後悔している日です。
その日もきっかけは些細なケンカでした。
それを彼はいつも以上に根に持って、翌日まで怒鳴っていた。だんだんヒートアップしてきて、子どもを置いてお前はでていけ!!!今すぐ出ていけ!!!と勝手にわたしの荷物をまとめ、追い出そうとしてきた。
怖かったのでわたしは1階の居室に子どもとともに閉じこもりました。お互いの居室には踏み入らない約束だったけれど、その時だけは守られなかったように思います。
烈火のごとく怒り狂いはじめ、いよいよ手が付けられなくなり、母に電話しました。
電話越しの彼のあまりの豹変ぶりに母も驚き、「子どもを置いて家を出なさい。」と言った。
彼は子どもに対しては手を上げたり怒鳴ることは一切なかったこと、わたしが出ていけば怒りが落ち着くだろうという考えからでした。
そしてその日は夜勤だったのです。どっちみち彼にお願いする日でした。
荷物を持っていつもより早めに家を出るわたしを、子どもたちは玄関まで追いかけてきました。
「おしごと?ぼくもいく。」「まま~。」
こんな狂った環境でもいつも通りニコニコしている子どもたち。
当時3歳と1歳でした。
ままお仕事行ってくるね。
寂しそうな子どもたちを残し、涙でぐしゃぐしゃのみっともない顔で家を出ました。
まさかここから半年以上、子どもたちに会えなくなるとは思ってもみなかった。
あの日、2人をあの家に置いていかなければよかった。
無理やりでも殴られてでも、連れてこなければいけなかった。
あの小さな手を、決して離してはいけなかった。
次回、【調停で離婚成立に至るまで】夫から逃げたい日々⑤
ついに始まる本格的な離婚への動き。
そして明らかになる衝撃の事実。
お楽しみに。